益子)オーダーを受けてから皮を伸ばすという餃子マニア独特のパフォーマンスは斬新ですよね。かなり思い切った業態だと思いますが、この業態を貫いた理由はなんでしょうか?
天野社長)理由はマーケティング目線とお客様への価値の伝え方です。
塚田農場にいたころ、他社に業態を真似されてとても悔しい思いをしました。その思いから真似されない業態を作りたいという意識はかなり強かったと思います。ただ流行っているから餃子の業態をやろうとか、餃子屋のマーケットがあるからそこに出すぞ、という理由でこのパフォーマンスをしている訳ではないんですよ。やっぱり皮から作るという工程を実際にやるのは難しいので、真似されないじゃないですか。この“真似されない”っていうのが重要です。
もうひとつは、メイン商品は原価が安くて利益が大きい方がいい、でもお客様にとっての感動的な美味しさがないとダメという、塚田農場で勉強したポイントが活きています。内装やお皿を真似されたとしても、そういう本質的なところは真似されにくいので、僕らが勝てている理由になっているんじゃないかと思いますね。
益子)餃子マニアは毛沢東風のユニフォームとチープな段ボールのメニュー、壁の壁画などで世界感を演出していて、簡単には真似できないと感じます。ところでなぜ餃子マニアという屋号に行き着いたのでしょうか?
天野社長)あれは「僕たちは餃子のマニアですよ」というお客さんへのメッセージではなくて、「僕らは餃子マニアであれ」という自分たちへのメッセージなんです。
僕らの店舗は規模が小さいので、メインメニューの餃子もすぐにブラッシュアップできます。常に僕たちはブラッシュアップを続けて、美味しい餃子を開発していくぞという気持ちが込められています。
益子)餃子マニアは繁盛店となり、メディアでも取り上げられる機会が増えました。そうなると、一般的にはチェーン化による多店舗展開が見えてくると思いますが、天野社長はあえて別業態である「小籠包マニア」を出店しています。この方針にはどんな決断があったのでしょうか?
天野社長)実は餃子と同じくらい、小籠包のお店もやりたかったんですよ。「社長がやりたいといいだした」がきっかけです(笑)。北京時代の寮の近くに、皮から作って目の前で蒸して食べる小籠包のお店があって、これがとても美味しくて。ただ餃子よりもスキルが必要なんですよね。スキル次第では1号店が小籠包マニアだった可能性もありました。
益子)社長が感動した経験から生まれた業態なのですね。天野社長らしさが見える決断だと感じます。
天野社長)ただ、店舗の展開を考えると、やっぱり餃子から広めろとはよく言われました。飲食業界で一番の成果を出されているダイニングイノベーションの西山知義さんからも「餃子のほうが参入障壁が低いから、まず餃子でパイを取ってから、参入しにくい小籠包にいけ」とアドバイスをいただきました。こんなに的確なアドバイスを受け入れないなんて経営者として失格だと思うんですよね(笑)その意見もよく理解できます。しかし僕は僕がやりたいようにやるために独立したので、少し遠回りしてもいいかなと思っています。
益子)小籠包はあまり町で気軽に食べられない高級料理だったところを、リーズナブルにしてくれたというイメージです。このまま小籠包で展開していくのかと思いきや、今度は北京ダックマニアが誕生しました。この展開のきっかけも教えてください。
天野社長)背景として、北京ダックは中国では庶民的な大衆料理であるという点があります。日本の焼肉屋のように、リーズナブルで安い店から超高級店まで幅が広いんですね。どの層もみんなが大好きな料理です。その大衆の北京ダックを日本で表現したかったというのが大きな理由です。
益子)確かに日本における北京ダックは高級料理のイメージが強いですね。餃子、小籠包に続く北京ダックマニアの展開はスムーズでしたか?
天野社長)当初中国の北京ダックの専門学校に社員を入学させて、調理方法を教わってきてもらう予定だったんですけど、コロナの影響で行けなくなってしまいました。ダメもとでその学校に連絡してみたら、先生がZoomで教えてくれると言ってくれて。なので本社で中国人の社員と、日本人の料理長と僕の3人で教わって開店できました。
益子)その北京ダック1店舗も含め、現在は餃子2店舗、小籠包2店舗、焼小籠包1店舗の計6店舗を直営されています。一方で全国で店舗のプロデュースもされていますが、これはフランチャイズとは違うのでしょうか?
天野社長)仕組みとしてはフランチャイズに似ていますが、あくまで「プロデュース」としています。チェーン店は「チェーン店だから行かない」というような反発や廃りがあります。美味しいのにチェーンだから評価を下げるという心理はあると思うんです。プロデュースさせてもらっているお店には長く続いて欲しいので、なるべくそれぞれ独自の名前で地域に出店してもらうようにしています。
益子)均一化されたフランチャイズの弱点ですよね。プロデュースされているお店は、仙台では「高橋と餃子」、京都では「包伸一」と、まったく違う屋号です。
天野社長)その地域発祥のお店だと認識してもらえるように、あえて名前を変えてもらっている面はありますね。すでに仙台では「高橋と餃子」、「高橋と小籠包」といった、高橋シリーズが根付いています。今から餃子マニアが仙台に出店したとしても、高橋シリーズの方がウケるでしょう。
現在プロデュース店舗は9店舗で、餃子が仙台・川崎・名古屋2店舗。小籠包が仙台・三軒茶屋・京都・宇都宮。広島は餃子と小籠包の両方をやっています。岐阜、滋賀、鹿児島では物件が決まっていて、現在準備中です。
儲けだけを考えるなら、直営をたくさん出したほうが儲かるんですけど、地方に根付いている会社さんと組んでプロデュース店舗を出すメリットを重視しています。正直地方のことは全然わからなくても、地方の優秀な経営者さんと組むことでたくさん勉強させてもらえて、社員の成長や会社の成長にいい影響をもらっています。
益子)チェーンに見えない形でのプロデュースで全国に広がっていきますね。今後、新しい計画は考えていますか?
天野社長)今は工場の建設を計画しています。いわゆるセントラルキッチンです。餡を作るにしても、最新の機器で作って冷蔵した方が絶対に美味しいものができるんです。最新の機器を駆使して全国の店舗に卸す流れは、クオリティの維持への影響が大きいと思っています。また工場ができたら、できたてを直送するECも展開していきたいですね。
あとは輸入業も構想中です。中国の椅子やテーブルを輸入して、業務用として売れたらいいなとも考えています。
益子)中国の滞在期間は一年間とおっしゃっていましたが、こうして伺ってみると人生が変わる経験でしたね。
天野社長)中国に行かなかったら今の自分はないので、ありがたいですね。これからも面白い業態をどんどんプロデュースしていきたいなと思っていて、それを実験する目的で直営店舗も出していきます。
益子)どんどん新しい展開が生まれそうです。現在はコロナ禍が続く中でもアフターコロナが見えてきていると感じます。コロナ後を見据えて取り組んでいることはありますか?
天野社長)僕のテーマは「選択と集中」です。今の時期はみなさんすごくナーバスになっていて、唐揚げ屋やゴーストレストランを始めたという話を聞いては、自分も何かやらないといけないと迷いを持たれています。しかし僕はあえて一切余計なことはやらないという選択をしました。
アフターコロナへの準備として、自分の強みを活かしながら、いらないものは捨てています。実は今も餃子はどんどんブラッシュアップされていて、ビブグルマンをいただいた時よりもさらに美味しいレシピになっています。もちろん小籠包も美味しくなりました。
また、この時期にあえて本社を作ることに投資しました。アフターコロナに向けて出店やプロデュースを加速するために、優秀な社員を採用する狙いです。アフターコロナに向けて必要なことを選択し、集中して力を投下するのが大きな飛躍に必要だと思っています。
益子)これまでのお話で、天野社長がとても仕事を楽しんでいらっしゃると感じました。これもエー・ピーカンパニーで学んだことが活きているからでしょうか。
天野社長)米山社長の背中を見て育ちましたので、やっぱりワクワクして仕事をしたいですよね。プライベートと仕事が一緒になっちゃうような。楽しく仕事をしたいという気持ちは、多分僕の根底にあるコアな部分であり、エー・ピーカンパニーで学んだ一番大きなポイントだと思います。
益子)3年後、5年後の計画を教えていただけますか?
天野社長)実はあんまり考えてないんですよね。店舗数や売り上げの見通しは立っているのですが、ここが目標、というのはなくて。
数字で評価されるより、真似したいなとか、あんな風になりたいな、と思ってもらえるような経営者になりたいとは思いますね。100店舗にすることを目標にするのではなく、そうして積み上げた結果100店舗になるというイメージです。
独立して最初のころは店舗数や売り上げに執着していたかもしれません。1年で3店舗作るという目標を掲げていたこともありましたが、失敗してキャッシュがなくなってしまって、大事な社員もやめそう、という大変な時代もありました。その時、ちょうどフードスタジアムから新人賞の盾をもらったんです。独立する前はそういう評価が欲しかったのですが、いざもらうと全然その盾が意味のないものに思えて。自分の思い描いていた経営者像と全く異なっているのにそのような評価をもらっても嬉しくないんですよね。実際、その盾は落ちて割れました(笑)
そのような経験も経て、最近は店舗数や坪売り上げなどに対して全く魅力も興味も感じられなくなってきました。それぞれの企業にフェーズもあるし、社長の考え方もそれぞれだと思いますが、僕は今そういう気持ちがなくなっちゃったかな。言葉を選ばずに言えば、結局会社って自己実現の道具じゃないですか。そういう意味では、数字よりもみんながあっと驚く業態を作り続けていきたいですね。
インタビュアー:益子 雄児 (株式会社ナシエルホールディングス顧問 元株式会社ROI 代表取締役)