株式会社 SOME GET TOWN 代表取締役 山崎一氏インタビュー(後編)人間力を武器に挑む100店舗構想

「朴三淳で世界へ。サムゲタンを世界へ。」という理念のもと、ミシュランガイドのビブグルマンを2店舗で獲得した株式会社SOME GET TOWN。名物・参鶏湯とルーツである母親の価値観を広めようと志す山崎一社長にお話を伺いました。


この記事は約10分で読み終わります。

インタビュー前編はこちら

益子)新店舗の「人ル(ニル)」では今後どんな展開をしていくのでしょうか。

山崎社長)15年間かけて100店舗にしようかなと思ってます。ひとりで食べられるサムゲタンという価値が広がった日本で、ココイチみたいになるやろなって。100店舗もあったら「今日、サムゲタンにしとく?」ってなるじゃないですか。そんなことになったら面白いですよね。サムゲタンが韓国料理か日本料理かわからなくなるぐらいまで価値を広められたらいいなって。そこにプラスして母親の価値観が付随されたら面白いお店ができるんやろなって思ってます。

益子)それは直営のイメージですか?

山崎社長)フランチャイズ(FC)も含んでます。ただ、その広がり方をするのにはFCが必要なのはわかってるんですけど、じゃあどういうFCのやり方がいいのかはわかってないので、今から勉強していかなあかんなとは思ってます。

益子)お母さまの作ってきた価値観が薄くなるのを避けるために、店舗をいたずらに広げていこうとは思ってなかったわけですよね。そこから「15年間かけて100店舗にしたい」という発想になった心境の変化は何だったのですか?

山崎社長)それはコロナが結構大きくて。コロナ禍で何をするかというときにまず考えたのは、コロナ期間中でスタッフ、僕も含めてみんなが考え方の芯を持つこと。次は動き出すことなんですけど、実は飲食とは違うことでマネタイズしようと思った時期があったんですよ。結局それも頓挫して、じゃあちゃんと飲食をしようと思ったときに、自分が飲食というビジネスのことを何も知らんことに気付いたんです。それでもっと勉強せなあかんなと思ったのが1つ。

もう1つは、包み隠さず言うと、これまで店長たちに任せていて、みんなすごくよくやってくれていて個人事業主としてのポテンシャルは出てきたんですけど、組織としてのポテンシャルは弱かった。会社として求めていることを皆ちょっとズレてやっている。でも彼らの能力を発揮させてないのは僕じゃないですか。だからもう少し自分がこの業界のことを勉強した上で、この業態をやりたいなと思ったんです。それが去年の年末ぐらいからですね。だから、みんなの前で「僕が勉強してなくて申し訳ない」と謝って、ちゃんと勉強することを宣言しました。

益子)なるほど。でもなかなか、経営者の方が従業員の方に頭は下げづらいですよね。

山崎社長)やっぱり、申し訳ない気持ちが大きかったです。もっと良い環境で働かせてあげたいし。仕事って人生の7割ぐらいを占めるわけですから、楽しくないと意味がないんですよ。
現状うちは人が辞めないんです。どうしてかというと、うちはスタッフになる時の「やりたいと言ったのはあなたですよね?大丈夫ですか?」っていう、一番最初の意思確認がめちゃくちゃきついんですよ。会社でやってることじゃなくて、みんな「自分事」なんですよね。だから、社長というよりは、僕は彼らがやりたいことを応援するサポーターの立場になると思ってます。ただ、負けず嫌いなんで流行るまでやりますけど。

益子)例えば恵比寿の店で言えば、1月にオープンして夏ぐらいまで苦戦したわけじゃないですか。わずかなお客さんでも大事にしなきゃとはわかってはいても、実際に数字を見ていれば厳しいですよね。

山崎社長)それはそうです。でも、じゃあ出店を決めたのは誰やねんっていう話で。それは僕ですから。

益子)そこまで厳しいと、業態を東京風にアレンジしたり、何かを変えちゃうとか、販促をやり始めるとか、そういうことはやらなかったわけですか。

山崎社長)めっちゃベーシックでアナログな感覚かもしれないですけど、それを変えたところで、やっているのは店長なんですよ。業態を変えたところでやってるのは人やから、人が変わらないと店は一生流行らないです。だから恵比寿店の店長が、「今日の売り上げも少ないです、すみません。でも目の前のお客さんには精一杯やっていて、喜んで帰ってもらってます。でもきっかけが出ないんです」って言ってきたときに僕は、「精一杯やってるんやったら大丈夫や、いつか流行るよ。おまえらかっこいい」って言ったんです。そうしているうちに、だんだん流行るようになってきました。

益子)別に奇をてらったことをしたわけじゃなくて、1度来たお客さまが違うお客さまを連れてきて、徐々に流行り出したわけですね。

山崎社長)うちは奇をてらったことは一切やってないです。業態もメニューも変えません。流行ってきたのは、店にいるスタッフの良さがだんだん伝わってきているだけです。今度の新しいブランドも一緒です。人のイズムを作ってるんです。

益子)新店を出すときに、店長になるのはどんな人を選ぶのですか。

山崎社長)それは新しい人です。ちょうど今、勉強するために店舗に入れてます。

益子)新店用に採用して、既存店で勉強させてから新店に行くわけですか。

山崎社長)そうです。そうするとその人は、最初は上手くいかないから悶々とするんですよ。それが見ていて楽しい(笑)。オープンして最初の2か月ぐらいは、人間の成長の幅がすごいから見ていて楽しいんです。「がんばれ、がんばれ!」って。

益子)お話を聞いていると、普通の飲食店とは違う方向にシステム化されていますよね。

山崎社長)そうだと思います。生き方とかにめっちゃフォーカスしているので。それはなんでかというと、やっぱり先ほど話した母親のひと言が大きいです。「味を決めるのはお客さまや」っていうことが大きくて。どんなに美味しい料理を作っても、人が介在している以上、その人の生き方が豊かじゃないとその料理は美味しくないと思うんですよ。人の在り方とかにフォーカスしちゃうのはそういうことですね。

益子)そのお母さまの伝統を受け継ぐ店づくりと、100店舗構想が対極にある気がするんです。その落としどころがどこなのか興味深いです。

山崎社長)そうなったら面白いでしょ?確かに対極にあるんですよ。でもそれをやろうってしているチームなので、何かあると思いますよ。100店舗と言って80店舗、60店舗かもしれないですけど、できるできないはどうでもよくて。そこに向かおうと思うマインドが優秀やと思っているんです。うちの会社の魅力は何かと聞かれたら、「全員いい奴です」って言います。ほんまに、うちの魅力って売り上げとかじゃなくて、嫌な奴が1人もいないことなんですよ。それが社風ですね。だから飲食店じゃない感じかもしれないです。「喜んでもらいたい」っていう思いが強いです。

益子)経営理念が、山崎社長の言葉じゃなくて、お母さまが創業から積み上げてきたものがベースにあるから、みんながわかりやすいですよね。

山崎社長)そうですね。今は彼らの方が、僕よりも「おかみさんの顔に泥塗ったらあかん」という気持ちが強いですよ。コロナで休業中に、おかみさんがてっちゃん鍋の創業時のレシピを残したいって言い出したんですよ。そうしたら、スタッフの有志が自分たちで企画して大阪に行ったんですよ。僕は気を遣うかなと思って行かなかったんですけど、帰ってきたときにみんなに感想を訊いたら、料理の話じゃなくておかみさんの人間的な話を全員がしたから、すごいなと。

益子)お母さまは今、バリバリ元気なんですか?

山崎社長)元気ですよ。まだ店を月1回ワンオペで回してますよ。

益子)ええっ、それはすごいですね。なんか今日は、良い意味で普通の外食経営者の方とは違うお話が聞けました。

山崎社長)ほんまですか?うちは生き方の話が多いですから。「どうあるべきか」っていう。

益子)今後、何が必要だと考えていますか。こういう人と会いたいとか、こういう人たちを採用したいとか。

山崎社長)それはずっと言ってます。「愛と思いやり」のある人としかいたくないです。それしか人の評価基準はないです。それがなかったらすぐ辞めてしまいます。なんでかというと、うちのスタッフはその子たちにめちゃくちゃ無償で施すから。「なんでここまでやってくれるんやろうな?」って思うぐらいだから、それに気付かない人は辞めていきますよ。そこで「自分も何か力になりたいな」と思った人は続きますね。

益子)他に今、山崎社長が考えている構想の中で欲しいパーツとかはありますか?

山崎社長)パーツというか、飲食が新しい枠組を1つ越えたところに行った前例をここ5年ぐらいで見せた方が良いと思うんですよ。社会貢献活動があまりにも低すぎて、若い子たちがあんまり夢を持てない業界になってしまうのを僕は危惧していて。

僕はラグビーで育ってるので、ラグビーのトップリーグのスポンサーをさせてもらっているんです。昨日もその報告会があったんですけど、既存のラグビーという文化の延長線上だから面白くないんですよ。せっかく飲食店がスポンサードしているのに、なんで料理教室の提案とかなかったのかなって。ラグビー選手が作るダイエット食とか興味あるやろ?って。そういう、ちょっと枠組みを越えたところの社会貢献活動で目立ってくる企業が出てくれば、今の20代の子たちも「そんなんもありなんや」ってなると思うんです。僕はアパレルもしていますけど、そういう感覚がないんですよ。「ナイキとコラボした飲食店の者なんですけど」みたいなことが若い人たちからすれば面白いんですよね。そんな枠組みを越えた前例を作る人間になりたいなと思ってます。大阪で、結構若い人たちに相談されるんですよ。その子たちがいつも、「あ、なんでもありなんですね!」って言って帰るんです(笑)。みんな、自分たちで勝手にあかんって決めてるだけなんですよね。

益子)そうですよね。一緒に働く人とは別に、パートナー的な企業の人たち、経営者の人に求めることってありますか。

山崎社長)僕、じつはFCさんと1件契約しているんですよ。その人の職業はお坊さんなんです。お寺の住職さんで、めちゃくちゃ良い人なんです。その人が「韓味一」をはじめ、うちの全店に通い詰めてるんですよ。それで「お母さんの料理を残したいねん」って言っていて。そういう人と一緒にやりたいんです。

結局、どれだけお互いのことをリスペクトしてやれるかが大事なんじゃないですかね。普通のときはどんなやつでもいいんです。思いやりがあるやつはピンチに強いんですよ。売り上げが悪くなったときに人のせいにしないから、めっちゃ強いんです。それが美しくていいんですよ。

益子)先ほど山崎社長がおっしゃっていたように、飲食って料理を食べているだけじゃなくて、その周りのすべてを含めて「美味しい」ってなると思うんです。例えば私が「入ル」で食べたら美味しいと言うんですけど、本当に正しく韓国料理の味をわかっているかというと、わかってないわけです(笑)。それは今日の話を含めて「美味しい」だと思うんです。

山崎社長)それでいいと思います。東京って、ストーリーで食べさせてくれる店が少ないと思います。だから正直、あんまり面白い店がないんですよ。例えば1万円あったら、6,000円は「雰囲気」、3,000円が「味」、1,000円ぐらいが「人」、みたいな店が多いんですよね。このバランスを、僕はすごく奇妙に感じていて。うちの場合は、6~7,000円ぐらいが「人」で、その人が作ってる2,000円ぐらいが「味」なんです。それでいいと思うんです。

益子)でも、東京の人はそういうストーリーで食べられる店に憧れているんですよね。でも情報過多でそれが見えなくなってしまっている。

山崎社長)なるほどね。

益子)「株式会社サムゲットタウン」という社名の由来でもあると思うんですけど、サムゲタンという料理に対してはどんな思いを持っていますか。

山崎社長)いや、スタッフには悪いんですけど、僕にとってサムゲタンはツールなんです。僕が一番伝えたいのは価値観なので、そこに思入れはなくて。サムゲタンの今の価値観は、「ティラミス未満、ボルシチ以上」です。

益子)ちょっとよくわからないです(笑)。

山崎社長)ボルシチよりは上やけど、ティラミスよりは下にいます。ナタデココもタピオカもバーンって先に行っちゃいました。あとはカタカナ料理の中では潜在的にボルシチとティラミス、サムゲタンぐらいが残ってるんです(笑)。

そして、サムゲタンっていうキーワードが出たときに、コースで食べられる店が「韓味一」。当日食べられる店が「入ル(イル)」。1人で食べられる店が「人ル(ニル)」。今商談させてもらってるコンビニで食べられるサムゲタンもうち、テイクアウトで食べられるサムゲタンもうちっていう風に、日本でサムゲタンを食べようとしたときに、どこから切り取っても絶対うちの社名が出てくるようになればいいと思っているんです。それで、サムゲタンの価値を日本で広めたのが、朴三淳の一族だったというストーリーが僕はかっこいいと思っていて。

もちろんサムゲタンは小さい頃から食べてきているし、美味しい料理で好きなんですけど、それより「ないもの」から「あるもの」にするチャレンジをしていきたいんです。今いる社員を含めたコアメンバーで、朴三淳の価値観を広めて、日本のサムゲタン文化を圧倒的に変えたいです。それでうちの孫とかが「サムゲタンって知ってる?」って言ったら、「おじいちゃんが変えたんだよ」って言いたいですね(笑)。

インタビュアー:益子 雄児 (株式会社ナシエルホールディングス顧問 元株式会社ROI 代表取締役)