株式会社ガネーシャ 本田大輝社長インタビュー(後編) 炎上からの大躍進を遂げる「牛宮城」立ち上げ秘話

富山発のグルメバーガー「SHOGUN BURGER」や家業の焼肉屋など、多方面に活躍する肉のプロフェッショナルである株式会社ガネーシャの本田大輝社長。宮迫博之さんプロデュースの焼肉屋「牛宮城」のサポートに名乗りを上げ、一躍時の人となりました。 後半では、何かと話題の「牛宮城」プロデュースの経緯と現状、SHOGUN BURGERの今後についてお話を伺いました。


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記者)青井さんとの出会いがひとつの転機になったのですね。もうひとつ、こちらはコロナ前ですが火事に遭われたとか。

本田氏)7年前、大将軍の本社でボヤが起きました。28周年記念としてお肉半額のイベントを常連さん向けにやっていたときに、ホルモンを炭火でたくさん焼いてしまったために燃え上がってしまって。ダクト内火災を引き起こし、小火騒ぎとなってしまいました。今思えば、店の建て直しの真っ最中で設備投資に意識が全く向いていなかったんですね。古い設備をそのまま使っていたのも被害が大きくなった原因だと思います。

そこから心機一転リニューアルに踏み切ったのでだいぶ調子がよくなっていきましたが、さらに4年後の2019年に、今度は桜木町店が火事になってしまい…。

記者)立て続けの火事は、経営にも影響があったのではないでしょうか。

本田氏)そうですね。「大将軍がまた火事を出した」と、ちょっと大きなニュースになってしまいました。また、桜木町店は繁華街にあったので、周辺への影響も大きかったんですね。「営業補償しろ!」という声も多くいただきました。

桜木町店も全焼だったので保険金で建て直しをしたところ、今度は「保険金詐欺だ」と言われて…。さらにはリニューアル後に売り上げが好調になると「あそこは火事で儲ける会社だ」と陰口をたたかれました。SHOGUN BURGERが富山で好調だったのもあってか、当時はいろいろなご意見をいただいてしまいましたね。

 

 

記者)大将軍3店舗のうち2店舗で火事とは、かなり手痛い目に遭ってしまいましたね。

本田氏)結果として、火事になった2店舗ともリニューアル後に売上が大きく上がっているので、クリエイティブも含めた環境への投資は必要なことなのだと実感しました。火災の起きていない1店舗もかなり古かったので、桜木町店の火事の後にリニューアルに踏み切りました。

記者)炎上というお話がでましたが、本田社長のお名前が世に広く知られるきっかけとして、宮迫博之さんの焼肉屋「牛宮城」のサポートがあると思います。どういった経緯で牛宮城に関わることになったのでしょうか。

本田氏)当時はSHOGUN BURGER渋谷店をオープンしたばかりで、まだバタバタしている時でした。なにやら渋谷の焼肉屋が炎上していると小耳に挟みました。よく調べてみると宮迫さんとYouTuberのヒカルさんの焼肉屋だということでした。

いろいろな焼肉屋さんが酷評していたので、私もみてみたのですが、確かにすごくダメだったんですよね。森田隼人さんが関わっているのに、なんでこんなことになっているのかとすごく不思議だったんです。そこから興味がわいて、ある日宮迫チャンネルチームに、「是非お手伝いさせてくれ」とSNSでメッセージを送ったのがきっかけです。

記者)ご自身から、しかもSNSでコンタクトを取ったのですね。反応はいかがでしたか。

本田氏)メッセージを送った後、本当に宮迫さんが食べに来てくれました。たしか3~4人くらいで来て、すごくおいしいと言ってくれました。さらに富山で大将軍のコースも食べに来てくれて、そちらも喜んでくれたんですね。それで「肉がおいしかった。一緒にやろう」ということでプロジェクトに参加することになった、という経緯です。

 

 

記者)本田社長の参加は、当時の牛宮城にとっての救世主とも言われました。かなり騒がれましたが、何か変わったことはありますか?

本田氏)本当に想像を絶するくらいハードはプロジェクトでした。あまりにも忙しすぎて、2021年10月くらいからの記憶があまりないんです。

また、一般の方からの反響はすごいものでした。先ほど炎上慣れしたと言いましたが、SNSではものすごい量のメッセージがあり、会社のホームページにも嫌がらせみたいなアクションが本当に多くて、精神的なプレッシャーは感じていました。

また、社内からも大反対の声が上がってしまって。「何故そんな炎上していてリスクしかない焼肉屋を助ける必要があるのか」という意見が飛び交っていました。

記者)周囲からは反対の声が上がる中、なぜ牛宮城へのサポートにチャレンジしたのでしょうか。

本田氏)社内で3人だけ、牛宮城のサポートに賛成してくれたんです。ひとりはずっと一緒にやってきている妻、もうひとりがSHOGUN BURGERの料理長である柴田です。こんなチャンスはない、失敗しても大丈夫、と何の根拠があったのかはわかりませんが、ふたりともずっと背中を押してくれていました。

もうひとりがSHOGUN BURGERの部長であり、元キックボクシング世界チャンピオンだった上松大輔です。TEJI TOKYO一緒に働いていた縁でジョインしてくれています。彼は「いい商品といいサービスを提供しているのだから、もし牛宮城が失敗してもSHOGUN BURGERには影響は無い。成功すればSHOGUN BURGERがもっとすごくなるから」と、自信満々に言うんですよ。この3人は本当に揺るがずに賛成してくれていたので、不安を抱えながらも最後までやりきろうと決心しました。

 

 

記者)身近に心強い味方がいる中での挑戦となりましたが、実際参加されてみての感触はいかがでしょうか?

本田氏)難しかったですね。普通のプロデュースの他にYouTubeの影響も考える必要があったので、これまでとは全く違いましたね。動画のストーリーやコメントで方針が急転換するのはざらでした。なかなか物事が決まり切らず、現在のようなお店にしようと決まったのはオープンの1カ月前からです。2022年3月1日のオープンに対して、1か月前の2月1日からようやくスタートできたというのが実情です。

記者)オープンまでの間にどのような活動をされていたのでしょうか。

本田氏)コンセプト自体はできていて、少しずつ試食こそしていましたけれど、その他は何もできていませんでした。何か動いてもひっくり返ってしまい、なかなか決まらないんですよ。

YouTubeの動画の中で、オリエンタルラジオの中田敦彦さんが「何やってるんですか!」と叱咤されていましたが、あれも仕込み無しです。本当に何も決まっていない状態でした。

記者)例を見ないほどハードなプロジェクトがようやくオープンまでこぎ着けたときには、感慨深いものがあったのではないでしょうか。

本田氏)当時は大変というのが先に立っていましたね。メニューブックが届いたのがオープンの数時間前というギリギリの状態でした。トレーニング営業もひどい内容で、オープン日までは休みなしで毎日トレーニングをしました。できる限りの準備をしてオープンに臨みましたが、当日は江頭2:50さんなど豪華なメンバーが来店してくれたこともあり、オペレーションが追い付かずに店内はめちゃめちゃ。やっぱり炎上してしまいました(笑)

 

 

記者)オープンの裏はそのような事態になっていたんですね。そこから今は順調で、予約も取れないほどです。現在はどのような形で牛宮城に関わっているのでしょうか。

本田氏)営業委託を受けているような形ですね。プロデュースは宮迫さんで、メニュー開発やブランディングは私たちが行っています。スタッフは全員弊社の社員・アルバイトです。

ジョインするときに、単純なプロデュースだけだったら無理だとお断りしました。メニューのプロデュースだけして運営ができなかったとしたら、炎上の矛先が弊社に来てしまいます。2~3カ月で立ち上げて抜けるのでは失敗すると思いましたので、成功させるためにも1~2年は責任もってやらせて欲しいとお伝えし、今の形になっています。

記者)怒濤のオープンから2カ月が経ちますが、まだまだ忙しさは変りませんか。

本田氏)やっぱり忙しいですね。宮迫さんが「進化する焼肉屋」というコンセプトを掲げているので、毎月メニューを変えています。忙しいですが、成果も出ているのでやりがいはありますね。

記者)牛宮城のサポートも始められて忙しい日々を送られていると思いますが、現在の生活拠点は東京と富山、どちらがメインでしょうか。

本田氏)半々ですね。やはり私の原点は富山にあり、富山のおいしいものを知って欲しいという想いがあるんですよね。牛宮城にも富山産の食材を多く取り入れています。今後も富山発という点をアピールしてSHOGUN BURGERの知名度を上げていきたいと思います。

 

 

記者)富山というと海産物のイメージがありますが、SHOGUN BURGERにも取り入れていくのでしょうか?

本田氏)SHOGUN BURGERではあまり積極的には考えていません。弊社は釣り船もやっていますので、そちらを活かした展開を考えています。例えば東京からのお客様が朝釣り船に乗り、夜は肉割烹を楽しんでいただく。そこでお客様が釣ってきた太刀魚の煮付けを出すというような、魚をちょっと織り交ぜた肉割烹を味わえる、富山を体験できるパッケージはやりたいと思っていますね。

記者)新しいビジネスプランもイメージされているとのこと。SHOGUN BURGERもこのまま拡大していくのでしょうか。

本田氏)SHOGUN BURGERの展開が一番で、同時に今後はフライドチキンの業態も展開していきたいと思っています。すでに今年3月、「SHOGUN FRIED」というブランドを広尾に立ち上げました。

記者)フライドチキンの展開には、どのような狙いがあるのでしょうか?

本田氏)ハンバーガーは、実は夜に弱い業態なんです。歌舞伎町では夜にハンバーガーを食べる外国人の客層が多かったのですが、一般的に日本人は夜にハンバーガーを食べる文化がないんですよね。そのため、夜の売上を支える要素としてフライドチキンを選びました。

Uber Eatsには、フライドチキンを扱うゴーストレストランが多いじゃないですか。私たちも元々ゴーストレストランのFCに加盟していたのですが、自分たちのブランドとして運営した方が今後の発展性があるということで本格的に始めました。私たちはブランディングが得意なので、インフルエンサーさんと一緒にマーケティングしていくことでしっかりと業態を作りこんでいけると思います。

また、SHOGUN BURGERの加盟店さんには追加の加盟金なしでSHOGUN FRIEDを使っていただけるようにしていて、二刀流を実現して売上の手助けになるようにという意図もあります。

記者)今後の出店予定のイメージがあれば教えてください。

本田氏)まずはSHOGUN BURGERを2025年までに30店舗出店するのが目標です。関東では都内、神奈川、千葉、埼玉で18店舗。北海道で2店舗くらいは出せると考えています。ちょうど今ギンジスカン屋のオーナーさんが加盟してくれるお話が進んでいるので、ラム肉のハンバーガーも検討中です。

あとは京都、大阪、福岡、沖縄、宮古島あたりの観光地がターゲットです。その後は海外展開も視野に入れていますが、まずは国内30店舗ですね。

 

 

記者)出店エリアと店舗数をすでに想定されているとなると、加盟する側も激戦ですね。

本田氏)そうですね。ご興味のある方はぜひお問い合わせいただければと思います。

≪FC加盟についてのお問い合わせはこちらから≫

https://ganesha-inc.net/business/franchise/

記者)出店はFCが中心でしょうか。

本田氏)そうですね。直営は来年1店舗だして終わりにしようと思います。今はスタッフが70人くらいですので、ここまでかなと思っています。会社が大きくなりすぎると動きが重たくなってしまって、やりたいことがやりにくくなってしまうという考えからです。身軽に、柔軟にやっていきたいですね。

記者)現在コロナが落ち着きつつありますが、インバウンドなど含め、どのように見通していらっしゃいますか?

本田氏)インバウンドが戻ってくる方に賭けていますね。FCの加盟店さんにも、私たちはホームランしか狙っていないとお伝えしています。今はその時が来るまでにどれだけ刃を研いで備えることができるかだと思っています。インバウンドが戻ったら、私たちのハンバーガーに勝てるハンバーガー屋さんはないという自信がありますね。

記者)今後も世間が驚くような展開を期待しています。