株式会社 カオカオカオ 代表取締役 新井勇佑社長 インタビュー【前編】高揚感の追求とオープンイノベーション型経営

本場の高揚感をそのままにタイ料理と空間を提供する『タイ屋台 999(カオカオカオ)』。「タイカルチャーを日本に広める」というビジョンのもと、緻密な戦略に加えオープンイノベーション型の経営を取ることで、未曽有の事態にも動じない経営が確立されています。今回、代表取締役 新井勇佑社長に999誕生までの経緯と、どのように成長を続けてきたのかを伺いました。


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記者)まず創業に至るまでの経緯を教えていただけますか。

新井社長)僕はもともと医者になりたくて、医学部を受験したのですが受かりませんでした。もう1度大学選びをしなければならなくなり、どうすれば自分の存在意義を高められるかを考えて、新設校だった大学に入ったんです。そこから大学生活を自由に過ごすことができ、自分の存在意義を感じることもできました。

卒論は皆の関心の集まりやすい領域で、まだ研究としても進んでいないものにしようと考え、当時研究していたいじめについての卒論を書きました。その卒論を認めてもらって、それ以降も研究をしていたのですが、この先ずっと研究者を続けられるほど突き詰められないと思い、再度自分の存在意義を考えるようになりました。

もう一度「僕が一生涯働けるような業界はなんだろう?」と考えたときに、まったく真逆な世界、職人気質の世界がいいんじゃないかと考えました。小さい頃から僕の父親が美食家で、いろんな美味しい店で食べさせてもらう機会がたくさんありました。そこで食べたものを次の日に見様見真似で作ると、それなりにおいしい料理ができてしまったということもあり、舌にだけは自信があったんです。

自分は職人さんにはなれないかもしれないけど、多くの人に好まれる味は何なのかを分析して、その料理を作ることはできるかもしれない、ということで、外食の世界に入ろうと決意しました。

記者)それはいくつぐらいのことですか?

新井社長)25、6歳の頃です。それから有限会社コパアミューズメントという、「旅人食堂」や「ニライカナイ」などの沖縄料理をやっている会社に入って、運営・戦略をはじめとする経営的な部分をメインに任されていました。そのときに研修で行ったタイでの経験が衝撃的過ぎたんです。現地で食べた料理が、僕が日本で食べたり作ったりしていたタイ料理とはまったく違うものだったんですよ。

じゃあ今まで食べてきたものや作ってきたものはなんだったんだろう?と思って色々調べてわかったのが、タイ料理ってそもそも「タイ王宮料理」と「タイ屋台料理」の2つがあるということ。タイ王宮料理はもともと西洋からの系譜があって、観光客やタイのお金持ちの人が食べている料理が日本で広まっていたらしいんです。

一方、僕が現地で食べたタイ料理は味も違うし、何しろ“面白かった”んですよ。めちゃめちゃ臨場感がある中で、まったく知らない人とテーブルを囲んで、一緒にごはんを食べる。しかもそのテーブルにいながら違う屋台の料理も頼めるというのが、とにかくめちゃくちゃ楽しかった。

タイにハマっている日本人って多いですけど、カルチャーや屋台に惹かれているというのもあるんじゃないか、それを日本に伝えられたらいいなと思ったんです。なおかつ日本には、世界でも珍しい居酒屋文化があるわけです。それはどちらかというと料理が美味しいというよりも、楽しい時間を求める場所として行く。それがタイ屋台と親和性があって、日本にはマーケットが必ず存在するんじゃないかと思いました。それで「タイ屋台 999」を創業しました。

記者)最初の店舗が中野ということですが、実際にオープンしてみていかがでしたか?

新井社長)中野店は、まずは中野に住むお客さんでいっぱいにしようという計画でオープンしました。それで1ヶ月ぐらい経ったときに、金土日はお客さんがたくさん来るけど、平日はなかなか来ないことに気付いて。じゃあどうすればいつもお客さんでいっぱいにすることが可能なのかと考えたときに、単純に「平日を週末にすればいい」と思ったんです。

記者)「平日を週末に」とは、繁盛している週末と同じくらい平日も繁盛させるという意味ですか?

新井社長)そうです。そこで考えたのが、うちの名物料理「カオマンガイ」をみんなに知ってもらうことでした。味には自信があったので、1回食べてくれれば次回も来てくれると思っていました。そこでフックになるように9日、19日、29日を「カオマンガイの日」にして、お客さんに9円で提供してみるのはどうかと考えたんです。必ず他の料理も注文してくれるので、1人あたりの粗利益はちゃんと出るんですね。

それでまず「カオマンガイの日」で平日を週末のようにすることができるようになりました。次にもっともっと週末のような日を増やそうということで、ちょうどパクチーブームが来ていたことに目を付けて、2日、8日、9日をパクチー食べ放題の「パクチーの日」にして。そうすることでその日も週末化できるようになっていきました。

次にランチですが、ランチってその街で生活したり務めていたり、いつも同じような人たちが使います。じゃあその人たちに繰り返し使ってもらうためには何が必要なんだろう?って考えたときに、単純だけど今までよくあったスタンプカードに着目しました。例えばスタンプカードの有無で1ヶ月に使う金額がどう違うかを計算したところ、スタンプカードがあった方が1人あたりの使う金額が高いことがわかったんです。

尚且つ、これは予測外だったんですけど、スタンプカードを持っている人たちは違うお客さんを呼んでくる傾向がすごくあって、これが大成功してランチもいっぱいになったんです。そこまで一気に、1~2か月でやりました。

記者)すごいですね。現在繁盛店になっているわけですが、コロナ前はどれぐらいの売り上げでしたか?

新井社長)コロナ前は中野店(一時閉店中)は坪50万ぐらい、新宿店は坪100万~120万ぐらい。新橋店坪40万~50万ぐらいで今は移転したので少し変わっていますが。梅田店は、広いので坪30万ぐらい、二子玉川が坪80万~90万ぐらいですね。どの店舗もアイドルタイムがあって、夜12時閉店です。

記者)すごい売り上げですね!

新井社長)この店舗(日比谷グルメメゾン店)に関しても、コロナ禍ではありましたが2020年10月なんかは1,400万売り上げがあったので、だいたい坪45万ぐらいありました。

記者)ちなみに業態づくりはどのように進めたのですか?

新井社長)業態づくりはすごく単純で、僕らは「タイカルチャーを日本に広める」というビジョンのもとに、ミッションとしては「高揚感を届ける」ということを大事にしていました。ライブ感の演出や規格外の商品の提供、現地に近い内装で高揚感を感じてもらうよう取り組んできました。メイドインタイランド100%、タイそのものを伝えることが、1番の高揚感に繋がるんじゃないかなって。

記者)そのために、何度もタイに行って視察したりしてきたわけですね。料理は日本に寄せていますか?

新井社長)料理は一切日本に寄せていないです。僕らは従業員も一緒に、何百軒というタイ屋台を食べ歩いているんですけど、カオマンガイだったらこの店、ガパオだったらこの店というように、見本にしている店があって、その味を見本に再現しています。お客さんからも「タイに行ったらどこの屋台に行ったらいいですか?」って訊かれることも多いのですが、メニュー表にもバンコクマップを載せて、僕らが好きな屋台を紹介しています。

記者)雰囲気も現地の屋台をイメージしているんですか?

新井社長)そうですね。基本的なお店作りは、僕が好きなタイのお店を全部再現しています。例えば、バンコクにあるサオチンチャーっていう地域のお祭りの日の通りを再現していたり。(店内を指して)あそこにある水道管とかも実はダミーなんですけど、それは実際の屋台であのように水道管があったからなんです。床にもコンクリートが途中で切れているところがあったりするんですけど、それも現地の店を再現しているから。他にもマンホールを再現していたりとか。基本的には僕独自のアイディアはあんまりないですね。

記者)中野のお店とこちらのお店は雰囲気は似ていますが、店舗ごとにカスタマイズはしているんですか。

新井社長)そうですね。でもだいたい2つのパターンに分かれています。日比谷と二子玉川は結構近い感じで作っていて、新橋、中野、梅田はまた違うコンセプトがあります。新橋なんかはマーケットの中にあるタイ屋台をイメージしていて、それぞれの店舗でタイ屋台が“実際にある場所”をイメージして作っています。

記者)坪数で言うと、ベースフォーマットはどれぐらいで考えているんですか?

新井社長)20~30坪で、1階の路面で間口が広くて形が良い、できれば角地が良いですね。どちらかというと、場所より形の方が大事だと思ってます。

記者)それはお客さんがライブ感を感じることができる形ということですね。これだけ色々やると、普通の人はパンクしてしまうと思いますが、どのように管理してこられたのですか?

新井社長)僕はもともとオープンイノベーション型の経営をしていくことで、「餅は餅屋」という考えを持っています。具体的に言うと、新橋店を立ち上げる段階で、財務、労務、採用、販促は外部の優秀な人にやってもらいました。一緒にチームを組み、オープンイノベーション型の経営をとるやり方です。だから、今回もFCやデリバリー、小売り、生産をやろうと思ったときに、全部自分たちでやろうとはまったく思っていませんでした。外食も知っていて、製造もできていて、事業のこともしっかりわかるという三拍子揃った人を探して優秀な方と組んで進めていくという方針です。

記者)なるほど。ちなみに、資金も必要になってくると思いますが、財務についてはどのように取り組んでいらっしゃるのですか? 財務といっても金融機関の資金調達もあれば、エクイティ・ファイナンスでの調達もあると思うのですが。

新井社長)エクイティ・ファイナンスでの調達はしました。

記者)エクイティ・ファイナンスでの調達というと外食産業では最近珍しいんじゃないかと思いますが、そこは抵抗感みたいなものはなかったですか。

新井社長)そうですね。大きくなった会社がやることとして認知されていますけど、うちみたいな小さい会社でエクイティ・ファイナンスをやっているところは少ないですよね。でも僕としてはそんなに抵抗はなかったんですよね。もともと外食の畑じゃないっていうこともあると思うんですけど。

記者)それは先ほどおっしゃっていたような優秀な仲間の方に詳しい方がいらして、アドバイスがあったのですか?

新井社長)中野店をオープンするときに、パクチー鍋がホットペッパーの「トレンド鍋」になったんですけど、それを一緒に仕掛けたのが元某グルメWEBメディアをやっていた方でした。その方と組んで何回も販促に成功しているんですけど、その方がWEBメディアを辞めるというので今後も携わって欲しいという話をしたときに、じゃあ株を入れるという形で入ってもらったんです。これからビジョンを実現するためには、このタイミングで一番必要な財務担当を入れる必要があるということで、その方に紹介してもらい、資金調達や財務戦略の立案をしてもらいながら今までやってきました。

記者)実際に株を入れてもらうことでの調達で、資本が厚くなって余裕ができるというメリットもあると思いますが、戦略として調達したのか、仲間づくりのために調達されて行ったのか、どちらでしょう。

新井社長)それは両方ですね。

記者)株主が増えることで手続きが増えたりとか、自分1人で勝手に決めることができなかったりすることも出てくると思いますが、そこについてはいかがですか?

新井社長)そういうところは出てくるんですけど、逆に言えば色んな人の意見が聞けるという広い部分を前向きに考えています。

 

後編に続く