株式会社鳥貴族ホールディングス 代表取締役社長 大倉忠司氏インタビュー(前編) ~大手焼鳥チェーン「鳥貴族」誕生のルーツに迫る~

前編では、大倉社長と鳥貴族の歩みについてお話を伺いました。


この記事は約6分で読み終わります。

大倉社長が飲食業界に入ったきっかけを教えてください。

 高校2年生の時にビアガーデンでアルバイトをしたのがきっかけでした。率直に楽しくて、翌年にもアルバイト先から連絡があり2年連続で働きました。

2年目には、自分の働きぶりを認めてくれたのか、バイト先にいる同級生4人の中で唯一焼き鳥やおでんの調理を任されて、それがまた非常に楽しかったです。「自分が作った料理をお金を払って食べている方がいる」というのが最初は不思議だったのですが、お客様が喜んでいる姿を見て、飲食の道に進むことを決意しました。

調理専門学校で1年間学んだ後、学校の斡旋で、最初はイタリアンレストランのホール係として働きました。ホールでは中々人が集まらないので、コック志望で来た若手にホール係をさせることが当時はよくありまして、仕方なくホール係になったのですが、これがまた楽しくてですね。折角の機会なので、まずはウェイターの道を極めたいと思うようになりました。

何人もの上司に褒められたり、自分でもお客様の心を掴めている感覚があったりしたので、段々と「この道は向いているんだな」と感じるようになりました。

そこから、どのような経緯で焼鳥の道に進まれたのでしょうか?

 当時住んでいた実家の近くに「やきとり大吉」が出来たのですが、そこの店主と仲良くなったのがきっかけでした。その店主が独立して焼鳥屋を新たに開業し、そこにも通っていたのですが、そのうち「休みの日に手伝ってよ」と声を掛けられるようになったんですね。

レストランで鍛えていた身からすれば簡単な内容だったので、仕事の出来も認めてもらえ、段々と「うちに来ないか」と誘われ始めました。最初のうちはずっと断っていたのですが、半年ぐらい経ったタイミングで「今後チェーン展開を考えていて、大倉君となら大チェーンを作れると思っている」と言われまして。

レストランで働く中で、何か社会的にインパクトのあることをしたい、大きなことをしたいという想いがちょうど芽生えていたタイミングだったので、その店主の夢に影響を受け、22歳の時に焼鳥業態への転職を決意しました。

転職してからは順調だったのでしょうか?

 はい、転職してから3年間で7店舗目まで拡大しました。その中で経営者のセミナーを受講したり、本を読んだりなどして経営の勉強をしていたのですが、色々と自分なりにアイデアが浮かんでくるようになり、その都度社長に経営について提案をするようになりました。勿論、受け入れて貰えることもありましたが、必ずしもそうではないことも多く、「中々自分の思うようにやれないな」という想いが溜まっていったんですね。そこで独立を決意しました。

今でもよく覚えているのですが、当時の社長からは独立について一切止められませんでした。「力のあるものはみんな、そうやって飛び立っていくんや」とむしろ励まされまして。当時の社長には今でも感謝しています。

創業以来、どのような想いで事業展開をされてきましたか?

 「全国チェーンを目指そう」という想いを最初から持った上で鳥貴族を創業しました。当時は200店舗出している居酒屋なんかも出てきていたので、焼鳥屋でも大きなビジネスに出来る見込みはありました。

最初からすぐ上手くいったわけではなかったのですが、創業して1年後に全品250円均一にしてから軌道に乗り始めました。金額を変えたことで徐々にお客様が増えていき、当時は全品均一のやり方がそこまで世間になかったのもあって、とても良い反響が得られました。

また、2号店、3号店は当時のブームに乗っかる形で鳥貴族とは別の居酒屋として展開していたのですが、その中で1号店(鳥貴族)の売り上げがどんどん上がっていったので「やっぱり鳥貴族だな」となり、4号店を鳥貴族として出店しました。そうすると、丁度そのタイミングでバブルがはじけまして。保証金が1/5、家賃が1/2ほどまで急激に下がっていき、これが鳥貴族のビジネスモデルとマッチし始めました。

4号店も徐々にお客様が増えていたので「これからは鳥貴族1本でやっていこう」となり、居酒屋だった2号店、3号店も鳥貴族に業態変更しました。

そうした出店の中で、何か大きな成長に繋がるターニングポイントがあったのでしょうか?

 創業して18年目に、FCを入れて35店舗目として道頓堀の空中階で大成功したのがターニングポイントになりました。知名度も上がってきていましたし、家賃の面でも路面と空中階・地下では全く異なるので、空中階でもやっていける見込みが立ち、一気に出店が進みました。

それまでは大阪の中でもローカルな場所を中心にやっていたので、繁華街で通用するかは不安があったのですが、どこに出店しても今までにないくらい売り上げが出まして「これは大阪ならどこでも通用するぞ」と自信をつけました。

また、大阪の繁華街で成功したのに合わせ、客の入り具合で他の大手居酒屋チェーン店にも勝てるようになったのも更に自信に繋がりまして、予定を2年早めて東京への出店を決意しました。

東京に進出した当初は少し苦労しまして、東京での知名度が十分ではない中、1号店が2階での出店となり、繁盛するまで1年半近くかかりました。2号店、3号店は路面に出店し、そこでのお客様からの反応を受けてようやく「東京でもいけるな」と思いましたね。

そのように出店を進めていく中で、大倉社長が経営面で大切にされてきたことをお聞かせください。

 「永遠の会社になる」という弊社のテーマをとても大切にしています。勿論、成長はさせていきたいのですが、やはり永続させることが一番大切であると考えこれまで経営してきました。

また、「社員ファースト」は常に意識していて、年々この想いは強くなっています。飲食業界のようなお客様を相手にするサービス業では「お客様ファースト」の文化が非常に根付いていて、これ自体は間違いではないのですが、これが変な方向に行くと社員にしわ寄せがいってしまうんですね。

私は「自分が幸せでなければ、お客様を幸せにしようと思えない」と考えていて、まだまだ不十分なところはありますが、まずは社員を幸せにしたいと思っています。そうすれば、心に余裕が出来て、お客様やステークホルダーのことを考えて、幸せにできる。

鳥貴族ホールディングスのバリューである「TORIKIWAY(※)」は、これに則って仕事してくれれば、会社も成長し、永続でき、絶対に一緒に幸せになれるという想いで策定しました。

(※) 全社員の幸福と永遠の会社のために、社員一人ひとりが大切にし、共有する価値観。「自己開発」「経営戦略」「経営者開発」「組織開発」「仕組開発」の5つから構成

(後編へ続く)